さようなら、そしてありがとう
我が家のキュートな癒し系キンクマハムスターのケイティが、
2年1か月の命を、昨日、全うしました。
動物たちの老化については、
今年になってとみに感じていた。
今年の夏で9歳になった、ブラジル・サルバドール生まれのビーグル犬、コリンは
ほぼ陽だまりで寝てばかりの毎日。
白髪も目立ち、
というか、濃かった栗色の毛はもうすっかりミルクコーヒー色に。
顔つきは柔らかくなり、性質も穏やかになった気がします。
在宅勤務をする私の、日中の大切なパートナーになってくれている。その存在、ただそこにいるだけでなんだか安心できる。
そして2年前の夏に家族の一員としてお迎えした、ケイティ。
ハムスターがどうしても飼いたい!という次男の熱い思いに負けて。ペットのコジマで見つけた可愛いミルクティ色の子。
名付け親も次男。
最初は「ガウディ」にする、という話も合ったけど(そのとき下町ロケットが放映中であった)、さすがに女の子だしね…と。なぜか、ケイティに。
自分がお世話をする!との約束通り、次男は毎晩エサを与え、水を替え、おがくずをきれいにし。とても可愛がっていた。
そしてもちろん、コリン同様、わたしのパートナーでもあった。
コチラは夜行性だから、夜の物書きの時のパートナー♪
そのケイティが今年に入り、エサを残すようになったのだ。
夜与えたハードタイプのエサは、朝になるとちゃんとなくなっていたのに。もう、歯が悪くなってきたのか、硬いものが食べられなくなってきた。
次男が選んだハムスターのバイブル
「幸せなハムスターの育て方」を読み返すと、それは老化のしるしだとあった。
そういえば、夜中の回し車の音も、しなくなっていた。
まだ2歳にもなっていないのに、もう老化なのか…と淋しくなったけれど、その後も、エサを細かい穀物タイプのものに替えてやると少しは食べるようになり、動きは鈍くなったけれど、元気に生きていた。
毎晩、ご飯タイムには手に乗せて、なでなでして、ふわふわの体で癒してもらった。
日に日に、動きが緩慢になってくる様子を見るのは切なかったけれど、これが老化だよねと納得して。
そして昨日。
10月3日は、朝から様子がおかしかった。普通、午前中はほとんど陶器のドングリの中から出てくることはないのに、昨日は違った。
ごそごそと朝から音がするから見ると、砂を敷いたトイレの中にうずくまり、肩で息をしている。なんだかちょっと苦しそうだ。
しばらくしてまたドングリに戻り、午後になった。
そして午後また、トイレに入り、同じように肩で息を…。
思わず、ケイティ大丈夫?苦しいの? と声をかけるも、当然返事はない。ああ、動物の声が聞こえたら…。
在宅仕事をしていて、ふっとケイティに目をやった夕方4時過ぎ。
目をまんまるく開けたケイティが、ドングリから出て、おがくずの上で動かなくなっている。
慌てて抱き上げる。まだ温かい。でも、動かない。
実はケイティはこれまでに2度、冬眠しかけていて、丸くなったまま冷たくなって動かなくなってたことがある。気づいて抱き上げて胸で温めたら、その時は動き出し、事なきを得た。
でも今回は違うの。
寒いから冷たくなったんじゃないの。
その時と違うのは、寝顔がちょっと苦しそうだったの。歯を少しむいて、何か言いたそうにも見えて。そして、丸くなってないの。腹ばいに、脱力した感じで、動かなくなっていた。
もちろんしばらく抱きしめて、温めたけど、もう命は戻ってこなかった。
まだ温かいうちに気づいて、抱きしめることが出来たのは、良かったのかもしれない。そのタイミングはまた、次男が学校から帰って来たばかりのタイミングでもあった。
こうして、小さなケイティの命が終わっていきました。
夜、小さな箱にケイティの身体をおさめ、スーパーで買ってきた白い花で埋めた。
お経をあげて、手を合わせた。
たくさん泣いたけど、さよならできました。
ペットをなくして悲しむのなら、
最初からペットは飼わないほうがいい。
…という人もいるけれど、私はそうは思わないのです。
確かにサヨナラは悲しい、けれど、動物たちが生きている間に私に与えてくれるものは、とても大きいから。そのかけがえのない存在は、いつか息絶え、さよならしなければならない日が来るけれど、共に生きた日々はまた、かけがえのないものなのです。
そして、ヒトも、動物なんです。
そんなことを、ケイティの死を通じて、私はあらためて思うのです。
さようなら、そして、たくさんのありがとうをケイティに♡