最後の稲刈り・・・ついに来た離農のとき 20210912
2021年9月11日(土)
私はある時期、実家が農家であることを隠していたことがあった。
年頃の女の子が都会に出てきた時、実家が北海道ということは軽々と言えても、農家であることはなんとなく言えなかったんだな。
農家ってなんかちょっとカッコ悪い気がしていたんだな。
今となっては、そんな自分を蹴とばしてやりたい気分。
農家は素晴らしい職業だと思うし、農家の娘に生まれたこと、実家が農家であることは本当に誇りなんだから。
そんな私の実家である、北海道の北部の稲作農家の、最後の稲刈りが本日終わった。父からLINEで連絡が届いた。
最後の稲刈りであることを聞いたのは、つい先日のことだった。
父の75歳の誕生日だった。ほんの1週間ほど前・・・
75歳と言えば、後期高齢者のはじまりである。
でも、いまだにゴルフもプレーするし、スキーも滑れる。元気いっぱいの父である。
まだまだ、細々と小さくなら、農家を続けられると思っていた。娘として、勝手に思っていた。
なので、え?最後の稲刈り?どういうこと??って。
最初は意味がわからなくてね。
今年で離農する、つまり、農家をやめるってことだったんだよね。
え?なんで?まだまだ元気じゃん。
80過ぎても現役でやっている農家もあるじゃん。
もうちょっと続けたら?ちょっとくらいなら、まだ出来るんじゃない?
・・・というのが、素直な気持ち。
最後の稲刈りをこの目で見たいというのもあった。母屋の隣に広がる黄金色の穂を垂れた、秋の田んぼの姿を見たかった。
今年はコロナで行けないから、せめてもう1年頑張ってもらって、来年を見納めにしたいよ。
なんて。勝手な無責任な、娘の本音。
でも、父が決めたことだから。
父だって、悩んで迷って、ここに行きついたんだから。思慮深い父である。もう迷いはないはずだ。
それでも、終わってしまうことが淋しくて、愚問を投げかけた。
「なんで今年で最後にしちゃうの?」と。
そうしたら、
「後継者のいない農家は、いつかは離農するものだ。それが日本の農業だ」と。
・・・そうだよね・・・
ふと、私が男だったら?後継者になってたかもね?
いや私に本気があれば、女だって後継者になれるのにね?
その選択は、私本人にも、両親にもなかったから。高校生の時、進路を決めるとき、東京の大学に進学したいと希望した私の想いを受け止め、応援してくれた両親。
もうその時点で、今日のこの、離農の日のイメージは、ついていたのかも知れないな・・・
その時の両親の気持ちを思うと、いまでも切なくなる。
でもお互いそこは吹っ切って、北海道で。東京で。それぞれの道を進んで今に至る。
お互い後悔なんてないし、最良の決断を、その時々でしてきたと思ってる。
それでもなぁ・・・離農は淋しいことだなぁ・・・
いや、もっと淋しいのは、父であり、母だよなぁ・・・
いろいろな気持ちがぐるぐる回る。
体壊して、もう限界!って思ってやめるより、
まだまだ元気で、余生を楽しむ体力が十分残っている今だからこそやめることを決めた父の姿は、やはり、輝いているなって思う。
引き際を自分で決める。素敵だなって思う。
最後の稲刈り後のLINEメッセージをここに残しておく。
「最後だと思う収穫大豊作だと思います。一つ一つの仕事が終わる度、感無量です。」
充実感あふれた、素晴らしいコメントだと思ったから。残しておく。
「感無量」に込められた、言い尽くせない今の気持ちを。しかと受け取りたい。
素敵な老後のはじまりだね。
おつかれさま。
後継者になれなくて、ごめんね。
(もうそれは言わない約束だけど、長女の私の中には、どうしたって消えない思いであることも事実なの)
そして、農家の仕事で得たお金で、私たち姉妹を東京の大学に出してくれて本当にありがとう!
父が有能な農業者であったことと、
実家が農家であること。今も、これからも、ずっと私の誇りです。