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さようなら私の母校~北海道の小さな小学校がまたひとつ消えます~

今年度いっぱいで、私が小学校時代を過ごした母校が閉校することになり、先日行われた閉校式に参加してきました。

 

2月の北海道へ飛行機で行くことは、結構リスキーなので(吹雪の影響などで)、予定通り行けたらラッキー!くらいの気持ちだったんですが、無事になんとか飛行機は旭川空港に着陸。ほっと一安心。

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この日、埼玉に住む妹は、少し早い時間に出発するJALで移動、わたしはANAだったんだけど、ANAだけ「条件付き運航」でしたね、なぜか。新千歳空港に降りるか、羽田に引き返すか…っていうやつ。どうして同じ空港に向かうのに条件が違うのかしら。30分の違いであっても、空港の状況は結構違うのかしら。

 

ともあれ、無事に旭川空港から父の車で風連に向かうことが出来ました。が、やっぱり結構な地吹雪で、運転は大変だった…。冬の北海道の移動は、本当に大変。自然の中で生きることの大変さを実感させられます。

 

前置きが長くなりました。閉校式です。

そもそも小さな学校だったし、子どもの数も年々減っていることは聞いていたから、近い将来は閉校するだろうなぁ…とは思っていたけれど。現実に閉校となると、切ないです。閉校式の案内を受け取ってすぐに、わたしは出席したい!と思いました。わたしを育んでくれた母校の最後の雄姿を、やはり、見届けたいと。

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校舎はまだまだ綺麗で、今風のオープンスタイルで、とても素敵。ただ、体育館だけは私の時代のまま、補修されたような感じ。懐かしい。

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そこに集まったのは200人を超える卒業生や役所関係のひとびと。

母校は開校117年の歴史があるから、卒業生も当然たくさんいるわけで、さまざまな世代の人たちが集まっていた。普段、この地区でこんなに多くの人を見かけることはないほどにね。

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式典はいわゆるお堅い来賓あいさつが続くスタイルのものだったけれど、心打たれたのは、いまいる在校生たちによる歌と言葉でした。

現在、3・4・5年生が合わせて5人だけ。そう、卒業生がいないから、彼らにとってもこの日が最後の式典と言うことになるのですね…。

5人は立派に言葉を述べ、全員がしっかりと声を出して歌を歌い、時に涙をこらえながら頑張っていて。

 

そうだよねぇ、自分の学校がなくなっちゃう切なさ。

それは、もう卒業しちゃった私たちの比ではないだろう…。

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式典は2部構成で、1部が挨拶系メイン。2部がテーブルについて飲食しながらの懇親会風のスタイルとなった。

 

2部では、PTA会長さんが挨拶をされたのだけれど、閉校を決めるまでにはさまざまなご苦労や葛藤があったんだそう。なんと、閉校を決めたのは、保護者の皆さんだという。へ、へいこうって、そうやって決めるのですね???

 

聞くところによると、児童がたとえ1人であっても、存続を願えば学校は存続されるのだという。何人以下で閉校、というようなきまりは、ないんですって…。

 

その代わり、地域の学校の存続をどうするかは、保護者・地域住民・そして先生方が話し合って決めていくんだそうです。それもキツいだろうなぁ。ここまで来るのに、どれだけのご苦労があったかと、想像するだけで辛いな…。

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でも、私が今回感じたのは、

このわが母校は、今も昔も「地域」の中に生きていて、わたしたち児童はみな、地域の子だったんだということ。そんなことは、自分に子供が出来て、都会の、横浜の小学校に入れて初めて気付いたことなんだけれども。小学校の在り方というのが、地元と今の横浜とでは、もう全然違う感じがするわけです。

 

地元では、老人クラブのお年寄りが、校舎の花壇に花を植える活動を毎年楽しみにしているとか。学校行事にも、在校生の保護者だけでなく、卒業した中高生やその保護者が積極的に参加するとか。そういう場所が、この小学校なんですね。

 

横浜では、少なくとも私が住む地域では、こんなにも密に「地域」が小学校に関わること、ないよなぁ、とか。いや、地域が大きすぎるから、地域の声を一つ一つ吸い上げたりしたら、もう収集つかなくて大変だよなぁ、とか。そもそも都会においては、小学校に通う子がいない世帯にとっては、小学校ってノータッチな存在だよねぇ…とか。いろいろと思ったわけです。

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わたしたちの時代の卒業制作!



だから、子どもたちの学びも、都会と地方では随分と違うなぁと感じます。母校では、先生以外の大人がいろんな部分で絡んでくることが多くて、ある意味、子どもたちは大人と接することにとても慣れている。だからかな、とてもしっかりしている印象がありましたよ。

 

あとね、5人しかいないと、もう全然サボるとかできないわけですよ(笑)

40人で歌を歌うのと、5人で歌うのとでは、一人の肩にかかる責任感はきっと随分違うのでは…。1人が担う役割も、40人と5人では、かなり違うのでは…。

 

同じ日本人の子どもであっても、学ぶ環境で、ずいぶんと学びが違ってくるだろうな。それぞれにメリットデメリットはあるだろうけれど、それぞれの良い面を残したまま、いつか地方の子と都会の子が融合して、良い影響を与え合う関係になると素敵だね。

 

ところで、

わたしは母校の校歌が大好きで♪ちょっとほかにはない、ドラマチックな曲調なんですよ。最初は短調ではじまり、途中から明るくのびやかな長調に転調するのです。ある意味、難しい曲かも知れないけど、地元の自然光景がふんだんにちりばめられたその歌詞は、今でもフルで歌えるし、いつまでも大好きな一曲です。

 

式典で歌いながら、思わずうるっと来てしまったことは言うまでもないですね…。

 

作詩: 塚本 熊雄

作曲: 松尾 肇

 

1.

朝日輝く 天塩岳

ほまれ床しい 瑞生の

松の緑が 野に満ちて

学ぶ窓辺に 希望あり

ああ私達の 下多寄小学校

 

2.

楡の梢が 広がるところ

流れ豊かな 天塩川

祖先の功 仰ぎみて

新たな力 湧き起こす

ああ私達の 下多寄小学校

 

3.

雨竜山脈 夕日に染まり

白樺林の空高く

真理に冴える北斗星

目指して行こう どこまでも

ああ私達の 下多寄小学校



下多寄小学校は明治35年に、ひとりの医師が自宅に寺子屋を開いたのが小学校の始まり。開拓の時代、町で最初の小学校でした。

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私の時代は、1学年18人で、本当にこぢんまりとしていて、クラス替えというものに憧れていたことを思い出します。

 

小学校での私は、本が好きで、習字と作文が得意な子で、背が一番高かった。男子よりも。

卒業式の写真では、担任の先生(女性)よりも、母よりも大きくて、巨大な子って感じだったね…

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いまの私のルーツが、その小学校にある。そこがなくなっちゃうのは本当に淋しいけれど、思い出はいつまでも私の中にあるからね。大丈夫。

 

在校生5人は、町の大きな小学校に、次の春から通うことになります。その校舎は最近、ピカピカに建て替えられたばかり!小さな町だけど、教育にかける予算は豊富なのかしら?とうらやましく思ったり(笑)

5人の新たな環境での学びを、こころから応援したいですね。

閉校を決断した地元の皆さんが、良かったなぁと思える未来を、これから5人は築いていくことでしょう♪

 

そして閉校後のこの校舎の行方を、わたしは真剣に真剣に心配しているのでありました。有効活用の道、かならずあると思うんですが…。

閉校式の会場では、これといった方向性などは全く触れられていなくて。どうなるのかなぁ。

 

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