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多寄のばあちゃんに会いに

私には3人の祖父母がいる。一人は父方の祖父で、風連の実家にうちの両親と一緒に住んでいる。御年、96歳?だったかな?もう94も96も一緒、って感じなんだけど(笑)、そのくらい、毎年元気。確かに少しずつ体力が落ちているんだろうなぁ、という様子は見受けられるけども、なんたって96歳だもの。頭もしっかりしているし、かなりすごい96歳。


その祖父の妻、つまり父方の祖母だけは、私が小学生の時50ちょっと過ぎの若さで病気で亡くなった。癌だった。
祖父母を失ったのはその時限りで、あとの3人は今も健在。病気知らずで、みんな元気。だったのだけれど…


多寄(たよろ)のばあちゃんが最近弱ってしまい、グループホームに入居することになった。多寄のばあちゃんとは、私の母方の祖母。80歳ちょっとで、まだ若いと思っていたけど(というのはうちに96歳がいるので、どうしても比べると「若い」って話になる…)、老衰ということらしい。病気ではないんだって。年を重ねることによる、身体機能の低下、ということなのかな…。


多寄のばあちゃんが入っているグループホームに、母と二人で行ってきた。ほとんど新築の、とてもきれいな施設で、個室も立派だった。ただ、そこに入居している人たちは、もう話すことが出来なくなっている人ばかりだった。


多寄のばあちゃんもそう。普通に会話することはもう出来なくなっていた。
誰が誰なのか、よくわかってないみたいだ。実の娘である私の母のことも、微妙らしい。ならばその娘の私、つまりばあちゃんの孫である私のことなどわかるわけがないんだけれど、大きな声で私の名前を言ってみた。耳元で。


そしたら、気のせいかも知れないけど、ばあちゃんの表情は明るくなって、なんとなく私の名前らしき音を発してくれた。かおりちゃんかい、って、確かに言ってくれた。ただそれは私の言葉を繰り返しただけかも知れないけど、やっぱり、嬉しいよね。コミュニケーションが取れたってことが。


多寄のばあちゃんとは一緒に住んでいたわけではないけれど、小さい頃からよく遊びに行っていた。とにかく優しいばあちゃんで、愚痴とか泣き言とか、人の悪口とか、そういうのを一度も聞いたことがない。怒った顔も見たことない。これホント。怒らない人間なんていないだろう…と、今必死でばあちゃんが怒ったシーンを思い出してるんだけど、全然思い出せないんだよなぁ。だからやっぱりいつも笑顔だったんだろうなぁ。


その笑顔、というか、そういう人柄は、会話がままならない今のような状況になっても自然と継続されているようで、ばあちゃんの笑顔は、施設のスタッフの方々を癒しているとのこと。いつも可愛いから、ここのアイドルなんですよ〜、って寮母さんが言ってた。


人間一人ひとりが持っている本質っていうのは、こういう時に現れるんだろうなぁ…と思わされたり。


また会いに来るね、と言ってその日は施設を後にしたけど、風連滞在中、この1度しか行けなかった。そしてブラジルに帰ってきてから、ばあちゃんの体調が芳しくないことを母から聞いた。食事が自力で出来なくなり、施設を出て病院に入院したって。やはりそれも病気というのではなく、機能の低下だから仕方ないことなんだって。そしてそのうち、機能は止まってしまうことになるんだって…。


言うなれば寿命ということなんだろうけれど、やっぱり、大好きなばあちゃんの終りが近づいているというのは、とても切ない。
あの夏の日に会ったのが最後になっちゃうのかなぁ、と思うと、切ない。
けど、会えて良かった。ばあちゃんの声が聞けて良かった。そうも思う。