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授業の受け方を知らないブラジル人


ブラジル人に日本語を教えるようになって、早いものでもうすぐ1年になる。手探りで始めた日本語教師業務だけど、今は結構慣れて、以前ほど苦ではなくなってきました。むしろ、楽しみながら、いろいろな新発見を期待しながら(笑)生徒さんたちと向き合っている今日この頃。


ということで、少し余裕が出てきたところで、これまでの新発見をいくつか思い出して書いてみようかと思います。


まず新発見第一弾。


「授業の受け方」を知らない生徒さんが結構いる!


授業の受け方って何?って感じですが。
たとえば自分が初めて英語の授業を受けた時のことを思い出して下さい。中学生になって、初めての授業。ABCはわかっても、NとMとかWとか、アルファベットの後半になるとよく覚えてない状態。もちろん、発音記号とかも知らない。けど、教科書には英文が並んでて、当てられたら英語で読まなきゃならない状態。



そんな時、私は、とりあえず先生の言った音を、カタカナで教科書の該当する文の上に書いた。ディス・イズ・マイ・フレンド、みたいに。



さらには、教科書の中に知らない単語が出てきたら、先生が意味を言うタイミングですかさず単語のわきに日本語で意味を書いた。だって、そうしなきゃ、また次にその単語が出てきたときにまた疑問になっちゃうでしょ…。



教科書に書き切れないような長い説明とか例文は、ノートに書いた。先生が黒板に書いたことは、ひとつ残さずノートに書いた。


そういうふうに、メモを取りながら(ノートを取りながら)授業を受けるのって、ふつうのことだと思ってたんだけど…
どうやらブラジル人にとっては普通じゃないみたい?!


というのも、私の生徒さん10数人のうち、授業中ぜんっぜんノートを取らない人が一人や二人じゃないんですよ。しかもそれが、現役の大学生だったり、予備校生だったりするんですよ。いま一番、学業に熱心に取り組んでいるであろう世代の若い生徒さんが、ノートもペンも持たずに、なななんと「手ぶらで」授業を受けに来ることがあるんですよ…。


こここれは、メモを取る以前の問題だよ…。



私は彼らに対して、何度も注意してるのよ。もちろん。
新しい言葉や表現は、ノートに書いておかないと後で忘れるよ、って。また次に同じことが出てきたときに、また質問することになっちゃうよ、って。
最低限、書くものは持ってこようよ、って。



これを、うちの幼稚園児や小学生に言ってるんじゃないんですよ。
ハタチ過ぎの、もういいオトナに言ってるんですよ…。



そしてその時はハイハイ、と言ってわかった顔して、次回は一応ノートとペンを持ってくる。お、よしよし、と思うのも束の間。その次の回には、また手ぶらに戻る…という繰り返し。



そして何回も何回も同じ単語を質問してくる。
前にも教えましたよね?って言ったら、しらーっとした顔で、全く悪気なく、「ワスレマシタ」と言う。しかも笑顔で(笑)



私はもうどうしたら…(涙)



それって単にヤル気がないだけなんじゃ?
私の授業から何かを学ぼうという気がないんじゃ?
…という気もしなくもないんだけど、いや、ヤル気がないわけじゃなさそうだ。現に、授業には休まず来るんだもん。(授業料前払いしてるからしょうがなく、ということもあるかも知れないけど?????)


こうなってくると、もしかしたら、勉強の仕方、授業の受け方というのが、日本とブラジルとは違うのかなぁ…。これって単に「文化の違い」なのかも…と思うようになってくる。


日本は、暗記しなければならないことが多くて、ノート必須だし(テストに出るからね〜)、もう小学生の頃からそういうふうに勉強するシステムになっている、ってことで。全国一律、義務教育の中で。日本人はみんな、そういうふうに勉強することが当たり前になっている。



ブラジルのテストはあまり暗記項目がないのかなぁ。それとも、そもそも日本みたいな中間とか期末のテストがないんだろうか。いや、そんなはずはない。6月には試験ウイークがあって、中高生がひぃひぃ言って勉強している様子は見たことがあるもん。


でも、それにも学校によるバラツキが大きいんだろうな。勉強熱心な私立学校と、そうでもない私立学校の差。私立学校と公立学校の差。そして公立学校の中にも地域によるレベル差が存在し…。もう、日本の義務教育とは全く勝手が違うのだ。だから、出来上がるオトナの質も、ある一定以上のレベルは保持している日本人とは違い、ブラジル人って、ほんとに、質はバラバラ…。


ある一定以上のレベルって、要は、読み書きできるとか、九九が言えるとか、そういうベーシックなこと。紙をきれいに4つに折りたためるとか(決して折り紙で鶴を折るレベルは求めないよ。ただ紙の角を揃えて4つ折りでいいの)、カタチ通りにはさみで図形を切り取れるとか、なんかそういう、日本人から見たら「そんなん誰でもできるでしょ!」と思える基本的なことが、実は、ブラジル人には難しいのかも知れない。


それは、教育の違いにほかならないのであって、ブラジル人たちを責めるというレベルのお話ではない。日本人は別に素晴らしいわけでも手先が器用な民族というわけでもなくて、折り紙文化があり、はさみで図形を切り取る訓練を義務教育の中で受けてきたから、慣れているだけの話。だと思うんですけど。



(それを裏付けることとして、うちの子供達… 日本人ですけど、ブラジルで教育を受けてますから、はい、ご想像の通り、紙の4つ折りも図形切り取りも苦手ですよ…)


で、何が言いたいかというと。
私が私の感覚で日本語をブラジル人に教えるということには、日本的勉強法をも伝授するということが含まれるのだな、と。なんなのこの生徒たち、ノートも取らないで!どうなってんのブラジル人は!!とプンプンする前に、ああこの生徒たちは授業の受け方を知らないだけなんだ、と。知らない人には、教えるしかないのだ…と。


一人、50代近いと想定される女性(仮名:エリさん:非日系ブラジル人)が、新しい生徒としてやって来た。エリさんは、なぜか日本語を覚えたい気持ちが満々で(アニメやマンガなどのニッポンカルチャーが好きなわけでも、カラテやジュウドウなどの武道が好きなわけでも、日本人の彼氏がいるわけでもないんだよね→だいたい生徒さんの動機はこの3つのことが多い)。先日の私の一時帰国に際し、「ぜひ日本で、ポル語・日本語の辞書を買ってきて下さい」と頼むほどのヤル気を持っている。



しかし。
授業の受け方がやはりわかってない。
最初に書いたけど、英語の発音はわからないけど英語のフレーズを覚えなければならない場合、日本人なら自分の知っている文字「カタカナ」を使ってとりあえず書くでしょ?


エリさん、日本語学習歴3ヶ月にして、まだひらがなを全部覚えてない…。
ま、それはいい。
それは地道にやってもらうしかないから。


だったら、自分の知っている文字、ポルトガル語のアルファベットを使って、ポルトガル語の音で近いものを探して、日本語のフレーズの上に書いてよ!私が「ミーニャ・コミーダ・ファボリッタ」とかって書くみたいにさ。


と、具体的に指示してみた。そしたら、エリさん、「そうか!そうすればいいのか!」って顔して、早速、日本語の上にポルトガル語を並べ始めましたよ…


Saionara Matar Asta.



「さようなら、また明日」。


Matar...ですか。これ、「殺す」って意味のポル語ですけど…。
ま、いっか。


こんなふうに、日本語を教える以前に疲れちゃうこともありますが、みなさん根は真面目で素直な生徒さんばかり。モチベーションを上げてあげるのも仕事、と思って頑張ってます。こんなふうに、いろいろな気づきをもたらしてくれるのも生徒さんだし。ギブアンドテイクだな、と思ってます。