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3歳からブラジルで育った日本人が5年生になって帰国したら(序章)

次男アレックスが日本の一年生になって頑張ってるよ〜、というお話は少し前に書きましたが、
そういえば長男コイのことをまだ書いてませんでした。
うっかりこのまま書かずに5年生が終わってしまった…では忘備録的にシャレになりませんので(笑)、近況を書いておこうと。


まずは長男コイの教育的バックボーンをおさらいしてみます。
生まれてから3歳6か月までは、東京の保育園に通ってました。私は1歳で育児休暇を終えて復職したので、コイは1歳から保育園児。
で、それからはブラジル。



ブラジルに行ってすぐは、近所の、比較的遅くまで預かってくれるブラジル幼稚園(非日系)に放り込まれました。
それこそ、ポルトガル語のただひとつも知らない3歳半です。いきなりブラジル幼稚園。
私が当時、アレックスを妊娠していて(9月に渡って11月に生んだ)、新生児のお世話的にはお兄ちゃんには長めに外にいていただくほうが助かる…との理由から。
日系の幼稚園ももちろん知っていましたが、当時はあえてポルトガル語の海に放り込んだ。
3歳半なら。3歳半のポル語になら、わけがわからないままについていけるのではないか、と。荒海に放り込んだ次第です。


当然、しばらくは大変でした。
コイくんぜんぜんポルトガルゴわかんないよ〜、って泣いてる日もあったし。
親としての私も、ほっとんどポル語で会話なんて〜、という状態で。お便りノートに書かれた先生の文字も全然読めなくて(涙)
本当にサバイバルな毎日だったなぁ。ブラジルで最初のコイの幼稚園生活…
(当時の記事、幼稚園で面談 に苦労が語られております…)



その後、アレックスも成長し、コイはポル語を習得してきた頃、今度は日本語が気になりだした。
と、同時に、それまでお世話になっていたブラジル幼稚園が、園長の体調不良により閉園することに!!!!!
(当時の記事、さよなら幼稚園 に詳細を書いてます。)
みんな慌てて他の幼稚園探しをする中、うちは、一番ご近所で日系のR.N幼稚園に入れてもらうことにした。
そこではポル語と日本語が両方使われていて、本当に助かったなぁ。日本語の読み書きなんかも授業の中で教えてくれた。
クラスの中に日本人はコイ含め2〜3人しかいなくて、ポル語が優勢だったけども。それでも日本人の仲間がいることは心強かった。親としてもね。


そんなこんなで通算2年半、サンパウロで幼稚園生活を送ったコイは、日本の小学1年生になる年の3月にサルヴァドールへ移動。
転勤があるかどうかギリギリまでわからなかったので、サンパウロ日本人学校の新入生説明会にも参加したよ、私たち。
でも結局、4月入学の時点ではもうサンパウロにはいなかったので、コイは日本人学校にはまったく通っていない→ここ結構ポイント。



そしてサルヴァドール日本人学校も日本語補習校もない。唯一、アメリカンスクールがあったのがせめてもの救い…
かくして、ポル語優勢だったコイが、今度は英語の世界に放り込まれた…
アメスクは8月から学年が切り替わる(日本より数か月遅いよね)。なので、3月に編入しキンダーガーデンの卒業セレモニーにも参加し(一人前に制帽かぶって立派な写真を撮ったw)、8月には晴れて1年生となったのだった。

ここでもやはり、英語なんてわかんなーい…とぼやいていたコイであるが、クラスメートの9割はブラジル人という、ちょっとアメリカンスクールとしてはどうなのその割合?っていう生徒構成だったので、持ち前のポルトガル語を駆使して友達の輪を広げ…
そのうちなんとか英語も覚え、気付いたらもう4年生が終わってた。
次の8月でアメスク5年生になろうという時に、私たちは日本に帰国した次第でありまする。



どう見ても日本語環境とは程遠い、縁遠い、コイのこれまでの教育背景。



じゃあ日本語はどうしてたかと言うと、まぁ、家庭内では日本語会話ですわね。両親ともにバリバリの日本人なんで。
まぁ後半はかなりコロニア語(日系1世2世に多い、文法は日本語だけど単語がポル語になっちゃうケース)になってましたけどね、我が家も。
だってうちも私が1世、アレックスが2世ですしね。コロニア語も自然な流れよね。


そんなんで、まぁ、コイもアレックスも、会話としては自然な流れで、発音も日本人らしく普通に出来ていると思う。
問題は読み書き。そして、学齢なりの語彙力ですよ。よよよ…


ブラジルにいたときの日本語学習はと言うと、
領事館からいただいている日本の教科書一式(日本人学校に通っていない、在ブラジルの日本人子弟には無償で提供される)、
海外まで郵送してくれる通信教育関連(うちは小学館のドラゼミだった)を一応毎月取り寄せて、取り組んでいた。


サンパウロにいたときは、くもんの教室(日本語対応♪)に通い、日本人向けの、日本で発行されいてる日本語教材をやっていた。あれは良かったなぁ。
でもサルヴァドールのくもんには日本語教材はなく… コイ5歳半でそれは終わった。


もうそれで精一杯〜〜〜
っていうか、もうそれ以外に手立てはない〜。


ちなみに、その頃の文字力は、当時(2006年12月)のブログに写真入りで記されている。
サンタさんへの手紙… 笑えます。



低学年時はまだそれでも回っていたけれど、
それこそ4年生にもなると、学校の宿題が結構ハードになって来ていて。
コイのアメスクは、授業は基本、英語だけれども、母国語であるポルトガル語も、ブラジル学校並みにフォローしようという狙いがあって。
ポル語の宿題が結構ハードだったなぁ。授業数が学校でとれないぶん、宿題でそれを埋めていたような雰囲気があった。



そこに来て、はいドラゼミだ、漢字だ、と急き立てても、若干8歳、9歳の子(しかも勉強嫌い、頭にはサッカーのことのみ、っていう典型的なヤンチャ男児)には全く響かず。
土日にまとめてドラゼミをやってたけど、私が目の前に座ってないとやんない子でね。しかもちゃんと見てないとやんない子で…
土日のお勉強タイムは本当に苦痛だったなぁ。
家庭教師がいたら絶対雇いたいと思ったほど!



と、長くなったので序章はこのくらいで。