~私の好きなもの、好きなこと、興味のあることをあれこれと綴るブログです~

サンタさんになろう


今日、所要のため(日本へドラゼミのテストを送るため)、郵便局の本局(サルヴァドールで一番大きいとこ)に行った。
入口付近に、手書きの手紙の山があった。
子どもの字で、パパイノエル(サンタクロースのポル語版)あてに書かれた手紙の山。
これ、サンパウロのパライゾの郵便局でも見かけた光景。その時は、何だろう…と思いつつも、質問するに至らなかった。ポル語の問題もあってね。


今回は、これが何なのか、近くにいて手紙を読みふけっていたオジサンに聞いてみた。そしたら、自分があげられるものを求めている子の手紙を探しているんだ…だって。
うーん、それじゃよくわからん。
近くのパソコン画面に向かっていた、係員の女性に聞いてみたら。なるほど納得。


これは、郵便局サンタクロースプロジェクトというもので、恵まれない子どもたちからサンタにあてられた手紙を一般に公開し、手紙に書かれた「欲しいプレゼント」を寄付できる人が、その手紙の主にプレゼントをするというシステム。
プレゼントは新品である必要はないそうで、使用してあるけどまだ使えるもの・家に眠っている品物などでももちろん大歓迎だと。
なるほど、そういうことなら我が家にも小さい子の服とか靴とか、まだ使えるものは山ほどあるぞ…


私も、おじさんやおばさんたちに混じって、手紙の山とにらめっこ。それぞれの文面を読んでいると、これがもうかなり現実的で切実で。
「私は父親を知りません。母はいま病気で、私にプレゼントを買う余裕はありません」
「両親は離婚し、父は麻薬中毒で行方不明になり、私は祖母と暮らしています」
「両親ともに職を失い…」


そういう文面のオンパレード…。



そうかと思うと、一方では、
「わたしは勉強が大好きです。頑張って勉強しますから学用品をください」
「まだ字が書けないのでお母さんに書いてもらってますが、来年は頑張って自分で書けるようになりますから学用品をください」
「いい子にしてますから自転車をください」
などという手紙も。



欲しい商品を見ていると、なぜか知らないけど圧倒的に「自転車」ってのが多い。
っていうか、自転車をプレゼントできる人はそういないだろうから、必然的に「自転車」と書かれた手紙が残っていくのか。
あとは、お人形、車のおもちゃ、学用品、服、靴、紙おむつ、そしてセスタ・バジカ(必須食料品:油や豆や砂糖・塩などがセットになっている箱)を望む声も多い。
具体的なおもちゃ名(パルキ・ダ・トゥバラォン…HotWheelsのミニカーキットのこと、や、リモコンカー、おもちゃのパソコン)、しかも結構高価なものを望む声もちらほら。
うーーーーん。どうしたものか。この中で私が協力できそうなものは何だろう…


結局、最近買い換えたアレックスの幼稚園用リュック(ゴロゴロつき)、あれがまだ使えるだろうと思いだし、「学校が遠いので、ゴロゴロ付きのリュックが欲しいんです」と訴えている6歳の男の子の手紙を選んだ。
中に、新品のえんぴつや消しゴムを入れてあげよう。
もう一通。来年1月6日に2歳になるという男の子に。誕生会を開けるよう支援してください…という手紙。
思わずそれも選んでしまった。だって私の誕生日と一日違いなんだもん。人間、そういうのに弱いよね、どうしても。
その彼には、誕生会キット(可愛い紙皿とか紙コップとか、風船とか数字ロウソクとか)を買って贈ろうと思う。揃えてもせいぜい1000円といったところか。


手紙にはそれぞれ番号が振られている。自分が選んだ手紙を係の女性に渡すと、私の名前と電話番号が登録され、手紙番号とともに管理される。
あとは、12月20日までに、該当する品物をラッピングして宛名をつけて、郵便局に持参すればOK。配達料金までは送り主は負担しない。それは郵便局のサービスとなる。
贈った相手には、誰からの贈り物であるかは伝えられない。
相手の住所を見ると、やはり、貧しい地域として知られる地名ばかりだ。


このシステムは1997年から始まったそうだ。そもそもは、純粋に「パパイ・ノエル」宛ての手紙が郵便局に大量に届き、プレゼントをリクエストされてもどうすることも出来ず…はてどうしたものかと頭を抱え…
最初は郵便局の職員何人かが寄付行為を始めたのがきっかけだそう。それが地域活動へと広がり、全国の郵便局へと広がったんだそうです。


世の中には、一日一日、食べるのも精一杯な人もいるわけで、子どものプレゼントどころじゃない人もいるわけで。
だったら食べるものを先に寄付しようよ、という気もしないでもないのですが、そこは私も子の親。子どもはみんな、クリスマスを楽しみにしているわけでしょう。豊かであれ、貧乏であれ。
縁あって手にした手紙の相手の子に、ささやかな贈り物を…と思ってしまうんですわ。


幸いにして、私には、汗水流して働いて稼いでくれる夫がいて、子どもにプレゼントを買い与えるだけの余裕がある。さらに、少しは誰かのために使えるだけのお金の余裕もある。本当に、ありがたいことに。
寄付は、特にこの国における寄付行為は、いったいどこにお金を使われるかわからないという怪しさがあるから、あまり好きではないし、あまりしたくない。子どものため、と言って集めたお金が、本当に子供のために使われるかなんて誰もわからない。
けれど、今回のプロジェクトは、子どもが欲しいものを子どものもとへ…という非常にダイレクトな寄付だから、私は同意した。


手紙を書いた子全員が、必ずしもプレゼントを得られるわけではないだろうから、届いた子にとっては本当にサンタがやって来たくらいの喜びが訪れることだろう。


なんとなく、クリスマスプレゼントの原点って、こういうことなのかも知れない…と思った。